「クラロワ 日本一決定戦」三連覇を成し遂げたRAD選手の素顔【前編】

長戸勲
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2018年3月に公式eスポーツリーグ「クラロワリーグ」が発足し、世界中を熱狂させているリアルタイム対戦型カードゲーム「クラッシュ・ロワイヤル(以下、クラロワ)」。今回、インタビューを行ったRAD選手は、2017年6月~8月に毎月開催された「クラロワ 日本一決定戦」で三連覇を成し遂げた、今もっとも注目すべき選手の一人。

本稿では、ウェルプレイド株式会社とのマネジメント契約を結び、本格的にプロ選手としての活動を始めたRAD選手のパーソナルな部分にも踏み込んで、お伝えしていく。

執筆:長戸勲

 

RAD:岡山県出身の大学生。「クラッシュ・ロワイヤル」内で開催されている「日本一決定戦」において、2017年6月、7月、8月大会にて三連覇を達成。2018年3月には、「クラロワ」プロゲーミングチーム“FAV gaming(Gzブレイン)”の選手として抜擢。同年4月にウェルプレイド株式会社とマネジメント契約を締結し、プロゲーマーとして活動の幅を広げる。

名前:RAD
Twitter:@Monkey_D_WIMPS
YouTube:RAD Clash Royale
最多トロフィー:6605(2018年2月27日現在)

大会実績(一部抜粋)
2017年6月 クラロワ 日本一決定戦 優勝
2017年7月 クラロワ 日本一決定戦 優勝
2017年8月 クラロワ 日本一決定戦 優勝

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RAD選手の生い立ちと「クラロワ」との出会い

――:岡山出身のRAD選手ですが、上京のきっかけとなったのは、やはり「クラロワ」だったのでしょうか?

RAD:
そうですね。僕はもともと具体的な将来の夢がなく、高校3年生のときもクラスで数人いた進路が決まってない組の一人でした。当時は、周りの友だちと「どうしようどうしよう」って、メチャクチャ焦っていたんです。でも、「クラロワ」である程度活躍したおかげで周りの方から上京を誘われ、それならぜひ行きたいという感じで決めました。
 
 
――:ご両親は上京に対してどうでしたか。

RAD:
全然反対はされなかったです。プロ契約の件も伝えていますが、興味がないわけではなく、本当に「自由にしたらいい」と。環境としては恵まれていますね。
 
 
――:なるほど。RAD選手の過去についてお聞きしたいのですが、幼少期からゲームはプレイされていましたか。

RAD:
小学1、2年生からずっとゲームを続けていました(笑)。最初はニンテンドーDSで「ポケモン」だったかな。そのあと「マリオパーティ」や「マリオカート」をずっとやってましたね。もともと負けず嫌いな性格で、とことんやり込む派だったので、絶対に友だちより強くなってやると思っていました。あと、小さいころから運動も好きだったので、本当に外で遊ぶかゲームをするかの二択でした。
 
 
――:スマートフォンを持ち始めたのは?

RAD:
中学に上がるくらいですね。ただ、そのころはゲームをしているわけではなく、普通の連絡手段として利用していただけです。少し経ったあとに「パズドラ」(パズル&ドラゴンズ)をぼちぼちやり込みましたが、友だちにすごいプレイヤーが何人かいて、全然目立つほどではなかったです。あとは「モンスターストライク」とかですかね。
 
 
――:ちなみに中学で一番ハマったタイトルは?

RAD:
間違いなく「クラッシュ・オブ・クラン(以下、クラクラ)」ですね。かなりやり込んだので、自分の名前もある程度有名だったと思います。そのあと「クラロワ」という流れになるんですけど、実は「クラロワ」がリリースされた当初は全然遊んでいませんでした(笑)。
 
 
――:え、意外ですね。始めたきっかけ何だったんですか。

RAD:
リリースされて何カ月か経ったあとに、友だちから「やってみようぜ!」って誘われたんですよ。あくまで「クラクラ」のついでで始めたんですけど、気付いたら「クラロワ」一筋みたいな感じになっていました(笑)。始めた当初は友だちも上手で、お互い負けず嫌いな性格だったこともあって、ずっとフレバト(フレンドバトル)をプレイしながら腕を高め合いましたね。
 
 
――:まだ意識はされてなかったかもしれませんが、日々の研鑽がすでに始まっていたんですね。当時から上位プレイヤーだったのですか。

RAD:
全然ですよ(笑)。僕が始めたときは、すでに上にはすごい人たちばかりでした。
 
 

クリスマスで最強のぼっちに輝き注目を集める

――:「クラロワ」を始めて、どのように今の地位を獲得したのでしょうか。

RAD:
一気に成り上がったというよりも、少しずつ上位を上げていった感じですね。そこから2年前の12月に非公式のクリスマスイベントがあったんですよ。リア充が参加しないなかで「最強のぼっち」は誰だ、みたいな。そこで僕が優勝したことがターニングポイントになったかもしれません。けっこう有名な方も参加していた大会だったので、「優勝したアイツは誰だ」って感じになっていましたから。


 
――:そこから「もっとがんばろう」と上を目指し始めるきっかけになったと。

RAD:
というのもありますし、言い方が悪いかもしれませんが、当時はその賞金が自分の中で大きかったんですよ。6,000円ぐらいだったかな。高校2年生のころはずっと部活ばかりしていて、バイトができなかった身としてはメチャクチャ助かりました。そして、その賞金で「クラロワ」に課金すればもっと強くなれる。すると、またモチベーションが上がって……みたいな。
 
 
――:極めれば極めるほど、見返りの報酬が身近に見えてくると。ちなみに部活は何を?

RAD:
バスケットボール部です。小学~高校まで一貫して続けていました。小さいころから運動も好きだったんですよ。なので、外で友だちと遊ぶかゲームするかぐらいで。中学は県ベスト8まで行ったり、それこそ高校はスポーツ推薦でバスケの強豪校に行っていました。大学と同じで、高校もどこに行くか悩んでいたところに、学校側から推薦の話が来て、そこから流れるままに。個人的にはどこでもよかったんですけどね(笑)。
 
 
――:天才肌なんですね……! 話を戻しますが、RAD選手が始めて「クラロワ」の公式大会に参加したのは?

RAD:
それが「日本一決定戦」でした。始まった当初は、普通に「イベントで大会が始まるから出よう」という軽い感じでしたね。結果的にトーナメントまで残れましたが、実は9位で予選落ちしていたんです。でも、8位の方が出場拒否されて繰り上がった感じですね。結局、けんつ(けんつめし選手)と当たって負けてしまいましたが。

けんつめし選手とRAD選手の初公式対戦。実をいうと、この試合以降2人が公式で戦ったことはない。

 
――:FAV gamingのチームメイトでもあるけんつめし選手とは、そこで始めて出会ったのですか?

RAD:
いや、半年前くらいからけっこう仲良くしています。始めは、有名クランに所属していたけんつが僕を誘ってくれたんです。でも、すでに別のクランに誘われていたので、断っちゃったんですけど。それでもお互いに連絡を取り合うようになって、仲良くなっていきました。

余談ですけど、一度けんつのクランに入ったことがあるんですよ。でも、リーダーが辞めたりしてクランが潰れちゃって。それからまたけんつの誘いで別クランに入ったんですけど、そこも潰れると。けんつの行くクランは潰れるみたいな風潮ありますね(笑)。
 
 


 
「クラロワ」をきっかけに上京し、現在は都内の大学に通うRAD選手。ここ数年で環境も様変わりしているが、負けず嫌いの精神で挑み続けた結果が今日(こんにち)に繋がっている。さて、記事後編では「日本一決定戦」三連覇を果たした当時の心境をはじめ、強さの秘訣、プロゲーマーと大学生活の両立など、RAD選手の新たな一面に迫ってみた。

【後編記事】
プロゲーマーと大学生活の両立も——「クラロワ」トッププレイヤー・RAD選手の目標【後編】
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本稿でも話題に挙がっている“けんつめし”選手のインタビュー記事。ライバルの存在や大会当時の心境など赤裸々に語ってもらった。
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記者プロフィール
長戸勲
ゲームやアニメ系の雑誌記事、ムック本の編集・執筆を始め、「ガジェット通信」「コロコロニュース」などで記者としても活動するフリーライター。写真撮影が好きで、構図にはこだわる。本人曰く「突出したものはないが、大体何でもできる」。

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