#コンパスでコットン太郎がコミュニケーションにかける情熱【前編】
コットン太郎さんを知らない人に、「どんな人?」と聞かれたとき、なんと紹介すればいいだろうか。得体が知れないわけではないのだが、活動を知っている筆者でも説明に困る、そんな人だ。
現在は、NHN Playartが2016年12月に配信を開始したスマホゲーム「#コンパス~戦闘摂理解析システム~」(以下、#コンパス)を中心に活躍している彼だが、インタビューしてわかったのは、ゲームファンとのコミュニケーションに対する愛情の大きさだ。
#コンパスとは、1バトル3分間で仲間とチームを組み、他プレイヤーのチームと3✕3のバトルで、ステージに配置された拠点を奪い合う。スキルカードを集めて、組み合わせによる多彩な戦略で最強のデッキを作り、対戦に備えることができ、アクションゲーム、戦略ゲームの要素を持ったスマホゲーム。
#コンパスは配信後、着実にファンを獲得し続け、昨年12月には1周年を記念した単独のオフラインイベント「#コンパスフェス」を開催し、多数のファンを集めた。今年に入ってからもその勢いは衰えず、8月からは初のライブイベント『#コンパス ライブアリーナ』を大阪、千葉、名古屋で開催、9月に実施される東京ゲームショウには単独ブース出展とますます盛り上がりそうだ。
その立役者の1人ともいえるコットン太郎さんに、根掘り葉掘り、彼の活動について聞いてみた。このインタビューを読み終えるときには、#コンパスはもちろん、彼のファンになっているのではなかろうか。
Twitter:@taromaru0510
ラーメン屋風情のメディアプロデューサー
――:最初に、コットン太郎さんを知らない人に「コットン太郎って、○○○な人」と説明する場合、なんといえばいちばんしっくりくるんでしょうか?
コットン太郎:
それがいちばん難しいんですよ。ツイッター上でも定期的に、「あの人、いったいなんなの?」というつぶやきが来るぐらいですから。
よくいわれるのは、「ラーメン屋」です(笑)。多いときだと、1日に100回ぐらいラーメン屋呼ばわりされることもあります。違いますけど。
――:でも、割とラーメン屋ツイートに対して、高頻度で回答されてますよね。
コットン太郎:
これは一種のファンとのコミュケーションなので、自分の中では「ラーメンガチャ」と呼んでます。ちゃんと答えることもありますし、「ラーメン屋だよ」とノリで返すこともあれば、ぜんぜん違う回答をするバージョンなんかがあります。ガチャの感覚で楽しんでもらえればと。
――:で、本当の正体は?
コットン太郎:
メディアプロデューサーですね。実際、ラジオ、生放送、動画などいろんなメディアを作ってます。この活動の中には、自分が演者として前に出ないものもあります。裏方のスタッフとして、企画立案や台本制作などをしているという意味です。
――:こういってはなんですが、意外に地味な仕事をされてるんですね。
コットン太郎:
ラジオって、昔からあるレガシーなメディアですが、今関わっているのはスマホアプリやSNSを活用する企画を手がけています。効果は目に見えてあって、ラジオ番組のキーワードがツイッタートレンドの3位に入ったこともあります。そのときはワールドカップ期間中だったので、上位はサッカー選手名でしたが、これは仕方ないですね。
――:ツイッターでも、メディアプロデューサーと名乗ってますよね
コットン太郎:
もちろん、自分が演者として出ることもしてますが、なんといえばいいかという質問には答えにくいポジションですね。ただ、ある種、ミステリアスな面もあっていいかとも思ってます。あえて回答するならば、「ゲームに限らず、エンターテインメントの領域でみんながもっと楽しくなってもらう仕事」といえばいいでしょうか。
友達の家でファミコンを遊ぶあの感覚を番組に
――:現在のコットン太郎さんを形成するまでの生い立ちをおしえていただけますか。
コットン太郎:
私は福島県で生まれたんですが、父が転勤族だったこともあり、幼少の頃は静岡県、神奈川県、秋田県、千葉県などあちこちに行きました。
学校を卒業して、最初に入ったのは不動産関係の会社です。入社3年が経ったときに、韓国でビジネスの立ち上げに関わる社内公募があったので、手を挙げてなにもわからないまま韓国へ行きました。
――:海外でのビジネスの立ち上げは、それなりに勇気と情熱が必要だったんじゃないですか。
コットン太郎:
当時、その会社には海外赴任規定のようなものもなく、そこから整備することが必要でした。新規ビジネスですから、事業計画から着手する必要があって、それなりに大変でした。今思い返せば、ここで0から1にする経験ができたのは、自分にとってプラスになっていると思います。韓国では、3年ほどこの仕事に就業してました。
――:ゲームに関わる仕事に就かれたのは、この次ですか?
コットン太郎:
不動産業界はある意味、伝統的な会社が多く、私がいた会社もそうでした。次の仕事は、もっと若い業界でより楽しいことができる業界がいいと思って、探していたところゲームの世界に巡り会いました。その後、ご縁があって、某ゲーム会社に入ることにしました。
――:コットン太郎さんは、そのころからゲーマーだったんですか?
コットン太郎:
そのころというより、子どものころからですね。小学校に上がる前から、TVゲームに触れてました。1日30分と親にはいわれてましたが、こっそり隠れてやってましたし。
その後、ファミコンが出てきたんですが、なぜか親がセガ・マークIIIを買ってくれました(笑)。本格的にゲームにハマっていったのはこのときからですが、私はファミコンがほしかったんです。
――:ですよね。周りの友人もセガ・マークIIIユーザーは少なかったんではないですか。
コットン太郎:
だから、ファミコンは友達の家で遊んでました。ただ、この体験が私の今の配信のベースになっているんです!
――:というのは?
コットン太郎:
私が手がける番組・配信というのは、「友達の家でいっしょにゲームを遊んでいる楽しさ」を放送を通じてみなさんに届けるというテーマがあります。ゲームをプレイするという行為は、活力が必要な行動じゃないですか。この活力には、すごく楽しそうだなという側面があると思ってます。
みんなでワイワイゲームを楽しむという面白さを伝えたいのが、私の番組作りのモットーです。
――:そのときの体験がかなり鮮明に残っているということですね。
コットン太郎:
はい、ファミコンが家になかったがゆえに、より鮮明に記憶に刻まれているのかも知れません。その後、中学校ぐらいのときになって、やっと家にファミコンが来ました。
――:ファミコンではどんなゲームに熱中しました?
コットン太郎:
最初に買ったのは、「トランスフォーマー コンボイの謎」(以下、コンボイの謎)です。当時、トランスフォーマーのアニメが放映されていて、それが好きでこのゲームにしましたが、無茶苦茶難しいゲームでしたね。
――:コンボイの謎は、「自分を作り上げたゲーム4選」というツイートでも挙げられてましたが、ほかのラインナップもなかなかシブいでよね。
コットン太郎:
「コンボイの謎」「くにお君の大運動会」「影の伝説」「カラテカ」の4つですね。影の伝説にいたっては、友達に貸したまま未だに返ってきてません(笑)。RPGなどもやってはいましたが、私のゲーム初期を支えてくれたのは、この4つです。
コンボイの謎
くにお君の大運動会
影の伝説
カラテカ#自分を作り上げたゲーム4選
— コットン太郎@ #コンパスMC (@taromaru0510) 2018年7月23日
――:この4つのゲームを含めて、コットン太郎さんのゲーム人生に大きな影響を与えたタイトルといえばなんでしょうか?
コットン太郎:
そういう意味では、「スーパーマリオブラザーズ」ですかね。当時、近所のデパートで「スーパーマリオブラザーズ」のゲーム大会があって、それに出場したことがあります。景品は謎にウルトラマンのプラモデルだったんですけど(笑)。これに出てみて、ゲーム大会って楽しいなと感じた記憶が今も残ってます。
ネットカフェ太郎からのハンゲ太郎からのコットン太郎
――:ゲーム会社に入社されてから、影響を受けたタイトルはありますか?
コットン太郎:それは即答で「Alliance of Valiant Arms」(以下、AVA)ですね。コットン太郎の原点は、AVAだと言ってもいいぐらいです。
――:それは初耳です。ゲーム会社に入社された時点で、AVAはすでにあったんですか?
コットン太郎:
まだなかったです。この会社での私の役割は、事業としてネットカフェをどう発展させていくかという担当でした。その中の1つの施策として、ゲーム大会を実施するというものがありました。AVAが登場してから、この動きが加速しましたね。
――:ここでいう「大会」というのは、オンライン上のものですか?
コットン太郎:
ネットカフェに集客をして行うオフライン大会ですね。時代的には、「サドンアタック」がゲームヤロウからネクソンへ移管されるときでした。このような背景がある中、AVAも全国のネットカフェで大会をやっていこうとなりました。
全国を回っているときに、当時の上司から「Ustream」というのがあるんだけど、知ってる? という問いかけをされました。
――:懐かしいですね。そのころは今ほど動画配信サービスが整ってなかったですものね。
コットン太郎:
そうなんです。私もよくわからないまま、見よう見まねで定点カメラを1個設置して配信をはじめました。あるとき、普通にやってても面白くないので、定点カメラに話しかけてみたんです。そしたら、コメントが返ってきたんです! あれ、これでコミュニケーションがとれるじゃないかということに気が付きました。これが、私にとってゲーム配信の始まりです。
――:そのときは、何太郎と名乗ってたんですか?
コットン太郎:「ネットカフェ太郎」です。実は、コットン太郎は3番目の名称です。ですが、最初は機材関連などの裏方の仕事で、表には出てなかったんです。ただ、裏方で指示出しをしているときに、「これ、自分でしゃべった方が面白いんじゃないか?」と思うようになりました。
――:記念すべきネットカフェ太郎のデビューの記憶はありますか?
コットン太郎:
それがあんまり覚えてないんですよ。当時からツイッターはやっていたので、私のことを知っているお客さんも何人かはいました。これをきっかけに、AVAの定期番組が始まったり、アクションRPGのC9の番組が始まったりして、これらに出るようになりました。
――:ネットカフェ太郎時代から、この出で立ちだったんですか?
コットン太郎:
当時は違いますよ。まず、頭にタオルは巻いてませんでしたし、衣装もTシャツでした。そもそも、頭にタオルを巻くようになったのは、髪のセットが面倒だからというズボラな理由ですから(笑)。
――:そのころの動画は残ってたりするんですか?
コットン太郎:
Usteramのアーカイブはないです。というか、見たくないです。地獄ですよ(笑)。
――:その後、2番目の太郎である「ハンゲ太郎」になるんですよね。
コットン太郎:
そうですね。ハンゲームに入ってからは、ハンゲ太郎として活動をしてました。ハンゲ太郎時代に、テレビ東京の「ドリームドリームクリエイター」という番組に呼んでいただいたのも、現在の私にとっては大きな出来事でした。
――:これはどういう番組だったんですか?
コットン太郎:
当時としては画期的なネットとTVの融合番組で、無編集の収録の模様をネット(ニコニコ生放送)で配信し、編集した内容を番組としてTVで放映するというもので、ネット上のクリエイターたちにスポットを当てる趣旨でした。百花繚乱さんやドグマ風見さん、ロンドンブーツ1号2号の田村淳さんなどが出演されてました。
――:この番組を通して得られた気付きはありましたか?
コットン太郎:
これまで独りよがりな配信をしてきてたんだなということがわかりました。スタッフもプロ、演者もプロという環境に入って、わかったことは「演者はチームプレイ」だということです。個々のいいところをみんなで引き出し合うことが大切だということがわかりましたね。
そこから、ハンゲーム公式ニコ生を始めるようになったんですが、この点は常に意識して番組作りをするようにしてました。
コットン太郎誕生の歴史について話を聞いてきたが、後編では現在の活動のメインとなっている#コンパスに軸足をおいて、さらに話をうかがった。esportsに関心が高い彼の情熱に迫る。
#コンパスのコットン太郎からの飛躍!esportsデビューを狙う2018年【後編】
インタビュー後編では、#コンパスのコンテンツの魅力に加え、コットン太郎さんのesportsへの意気込みを語ってくれた。緊張した仕事の話や、エゴサーチをするという意外な一面も。
(C)NHN PlayArt Corp.
(C)DWANGO Co., Ltd.
写真・大塚まり