ヨッシーへのこだわりと大学時代の武者修行――日本人初のプロスマブラーaMSa選手に訊く【前編】

すいのこ

世界を震撼させている“レッドヨッシー”をご存じだろうか。日本人初となる「大乱闘スマッシュブラザーズ(以下、スマブラ)」のプロ選手、通称“プロスマブラ―”であるaMSa(アムサ)選手は、数々の大会で好成績を残し、ヨッシー使いという珍しさも相まって世界中から注目を集めている。

本稿では、そんなaMSa選手に行った独自インタビューの内容を公開。「スマブラ」との出会い、ヨッシーを使いつづける理由、プロとしての活動やライフスタイルなど、様々な側面からaMSa選手を深掘りしていく。

聞き手:すいのこ
執筆:長戸勲

「DX」で自身のスマブラ像が確立

――:aMSa選手といえば「スマブラ」ですが、そもそもゲームを遊び始めたのはいつごろでしょうか。

aMSa:
自我が芽生えたころなので4歳くらいですかね。兄と姉がいて、スーパーファミコンが家庭にある状態でした。当時は任天堂のゲームをやり込んでいて、特に「星のカービィ スーパーデラックス」「スーパーマリオコレクション」「ヨッシーアイランド(※正式名称「スーパーマリオ ヨッシーアイランド」)」はメチャクチャプレイしてました。

――:ソフトのラインナップを聞く限り、当時からアクションが得意だったんですね。

aMSa:
そうですね。アクションばかりプレイしていました。一応、RPGもやっていましたが、兄や姉のレベル上げ要因として使われることが多くて。思い出といえば、いかに効率良くレベルを上げるかを考えていたぐらいですよ。たまにデータが消えて怒られたり(笑)。そんな状態だったので、幼少期は任天堂のアクションゲームとともに育ってきた感じです。友だちと遊ぶ時も、任天堂のゲームは人気でしたしね。

――:スーパーファミコン以降はどのハードで遊ぶようになりましたか?

aMSa:
僕の場合はプレイステーションにはほとんど行かず、ニンテンドウ64をメインに遊びました。

――:そこで初代「スマブラ」(以下、無印)と運命の出会いを果たすわけですね。

aMSa:
出会ってしまいました(笑)。最初は友だちが持ってきてくれたんですよ。一緒にプレイしてみたらメチャクチャ面白くて! でも、当時はお金に余裕があまりなく、購入はせずに従兄弟がソフトを持ってきた時に一緒に遊ぶくらいでした。でも、とにかく最高に楽しんでいました。人が集まったらとりあえずやる感じで(笑)。

4人ではもちろんですが、兄弟で居る時はタイマンでプレイすることが多かったですね。そこからゲームキューブで「スマブラDX」が発売されて、同じくハマりました。面白いから遊ぶという状態が8、9年続いていた感じです。友だちと会ったら、とりあえず「DX」みたいな。

――:「DX」をプレイしつづけた理由はなんでしょう。

aMSa:
ゲームとしてのやり込みや隠し要素が初代に比べてガツンと増えたことですね。一人で楽しめる要素が増えたことも大きかったです。あと、そのころからガチ勢の人たちのプレイ動画がインターネット上に出てくるようになったんですよ。「え、あんなあり得ない動きができるんだ」と研究しながら、兄や友だちとずっと対戦していました。

その時の印象が強くて、「DX」が自分の中のスマブラ像になっちゃったんですよね。Wiiで発売された「スマブラX」は、敷居を下げるという理由もあったかもしれませんが、色んな要素がカットされてしまっていて……。結局、「X」は自分の中にある像とは違うな、と思い「DX」をプレイしつづけた感じです。

ヨッシーへのこだわりと大会へ意欲

――:aMSa選手といえば稀代のヨッシー使いですが、無印から使用されていたのですか?

aMSa:
無印は、「スーパーデラックス」や「ヨッシーアイランド」で遊んでいたこともあって、カービィとヨッシーを使っていました。ちなみに、ヨッシーに関しては身内でも人気を集めていて、「マリオパーティ」や「マリオカート」では取り合いになることもありました。その人気に引っ張られる形もあって、ずっと使っていましたね。そのままの流れで「スマブラ」で持ちキャラになりました。

――:競技性という視点で見ると、一般的にヨッシーは強くないキャラクターとされています。そんななかでaMSa選手がヨッシーを選ぶ理由を教えてください。

aMSa:
ヨッシーは、小学5年生のころからずっと「DX」で使いつづけていました。学校内で「俺、スマブラ強いぜ」と言ってる人を、片っ端からヨッシーで倒しましたよ。そんな状態がずっと続いて、単純に自分の中で一番使い慣れたキャラクターに昇華していったんです。

大学に入ってからは、初めて自分と互角に戦える友だちと出会ったことでガチ界隈にのめり込みました。2012年11月にガチ勢入りしたのは今でも覚えています。ちなみに、そのとき知人から「ヨッシーってそんなに強くないキャラクターだよ」って言われたんですけど、「そんわけねーだろ!」と。自分としては昔から使っているし、何を言っているんだろうという感覚でしたね。


▲aMSa選手によるヨッシーのテクニック集――:大学時代からの武者修行はどのような感じでしたか?

aMSa:
自分の家から原付バイクで10、15分くらいの場所にみんなで集まって、ブラウン管テレビでひたすらプレイする……というのを毎日。8、9時間ぶっ通しでやることもありました。

ただ対戦するだけじゃなくて、みんなで意見を言い合って腕を上げた感じですね。フィードバックするために、わざわざ動画を撮影してYouTubeにアップすることも多かったです。あとは、スマブラプレイヤー専用のSNSコミュニティを立ち上げて、攻略記事を書いたり意見交換をしたり。そのころはオフ会をするたびにレポートを毎回書いていましたね。

ニコ生を始めてからは、配信でひたすらトレーニングモードをプレイすることもありました。視聴者からのコメントで意外な発見があることも多く、本当に配信をしていて良かったなと思います。自分の知らない知識をコメントしてくれるので。

――:大会に出場されたのはいつごろでしょうか?

aMSa:
2013年1月に岩手で開催された第1回北日本大会ですね。当時最強プレイヤーのフラッシュさんを始め、北海道の強豪シークさん、関東の強豪VANIRAさんたちが参加されていました。結果としては16人中の5位で終わりましたが、2、3日間開催のとても内容の濃い大会でした。ずっとオフでプレイして、その後は大会のサブのような交流イベントにも参加して。

――:東日本の猛者が集結したわけですね。当時を振り返ってみていかがですか。

aMSa:
僕が負けたときの相手は、ガチ勢になるキッカケになった同じ大学のSanneというプレイヤーでした。せっかくの大会なのに、彼に2回負けて終わるという(笑)。ただ、フリー対戦などで上位のプレイヤーと良い対戦が出来て、手ごたえを感じられました。

大会自体はこれが初めてだったんですけど、年始に大阪で対戦会が行われまして。そこでも真ん中くらいの成績に終わり、僕の中で「もっとちゃんと突き詰めたら上にいけるな」という自信が生まれました。そこから積極的に大会や各種イベントに参加するようになったんです。

――:モチベーションが上がったと。海外の大会を視野に入れたのはいつ頃でしょうか?

aMSa:
先ほど紹介した北日本大会と同じ年の2013年ですね。これがまた、メチャクチャいいタイミングで。世界最大級の格闘ゲームイベント「EVO」の2013年は「スマブラDX」がタイトルとして選ばれた年だったんですよ。そのころの僕はガチ勢入りしてまだ半年。1月の大会は5位に終わりましたが、その後に関西で行われた国内最大級の大会では、初めて4位の成績を収めることができました。それで自信が生まれ、海外に挑戦してみようという後押しになったんです。

――:初のEVOは結果的にいかがでしたか。

aMSa:
25位でした。ベスト32まで残ることができ、当時最強だったMew2Kingから1セット取ることができて話題になったのかなと。この大会を皮切りに、大会やイベントには積極的に参加するようになりました。

――:海外の大会に参加されているからかもしれませんが、英語が堪能ですよね。

aMSa:
ありがとうございます。結果的に言えば「スマブラ」で伸びましたね。英語を勉強する、良いモチベーションになりました。もともとは大学受験レベルの知識があり、加えて海外遠征で友だちと会話しているうちに、段々と構文などを覚えたって感じです。

実際に話す力が伸びてきたって思えたのは、3週間ほど海外遠征した去年の10、11月くらいですかね。仲の良いAxeという世界最強のピカチュウ使いと話している際、「ゲーム配信は、もっとこういう風にやったらいいよ」みたいなアドバイスをもらって。それで配信自体のモチベーションが上がり、折角だから全部英語でやろうと考えて、話しているうちに段々伸びていたって感じですね。

――なるほど。「スマブラ」の腕前と英語力が伸びるなか、スポンサーが付いたのはいつごろでしたか。その経緯も教えてください。

aMSa:
2014年5月発表ですね。経緯としては、まず同じ年の1月に「Apex2014」という海外の大会に参加した際、600人中で9位まで勝ち上がりました。その大会で注目を浴びたこともあって、当時ゲーム大会の映像配信を行っていたVGBootCampという会社からFacebook経由でメッセージを頂き、せっかくこういった機会を頂いているのでやってみようと決意し、スポンサー契約を結んだという流れです。

――これまで数多くのイベント、大会に参加されてきたと思いますが、aMSa選手の中で印象的だった試合はありますか。

aMSa:
フルセットまでもつれ込んだ、「Apex2015」の対Mango戦ですね。“スマブラ五神”と呼ばれているうちの一人、Mango選手との試合は接戦の末に負けてしまいましたが、自分のキャラクターの可能性を見せつけることができました。


「スマブラDX」トッププレイヤーのaMSa選手による凄みは、大学時代からの武者修行を経て形成された。後編では、aMSa選手が大切にされているルーティン、そして意外な経歴とゲームが結びつく瞬間について語ってもらった。

【あわせて読みたい関連記事】

“コーチ”と二人三脚でさらなる高みへ――日本人初のプロスマブラーaMSa選手に訊く【後編】

世界を震撼させている“レッドヨッシー”をご存じだろうか。日本人初となる「大乱闘スマッシュブラザーズ(以下、スマブラ)」のプロ選手、通称“プロスマブラ―”であるaMSa(アムサ)選手は、数々の大会で好成績を残し、ヨッシー使いという珍しさも相まって世界中から注目を集めている。

記者プロフィール
すいのこ
大学1年生の時「大乱闘スマッシュブラザーズX」にハマりすぎた結果、鹿児島から一人で大阪や東京、ひいては海外の大会に遠征するほどの重度のスマブラプレイヤーに。メインキャラクターはディディーコング。

関連記事

すいのこ

注目記事

新着記事