スマブラプレイヤーHIKARU、ドンキーやめるってよ

Mako(WPJ編集部)

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EVO2019の参加申請者数1位(2019年4月時点)になり、追加キャラクターのジョーカーも実装されてますます注目を集める「大乱闘スマッシュブラザーズ SPECIAL」(以下、スマブラSP)。

今回インタビューするのは、闘会議2019で行われた本作のオープン大会で優勝したチーム激所属HIKARU選手。

「大乱闘スマッシュブラザーズ Wii U」(以下、スマブラWii U)時代には最強のドンキーコング使いとして名を馳せた彼だが、つい最近キャラ替えを決意。そもそも弱キャラとされていたドンキーコングを使っていた経緯から、キャラ替えの理由まで、HIKARUというプレイヤーの世界観を探っていく。

相手の苦しむ顔が見たくて格ゲーにハマる

――最近、上京されたとうかがいました。

HIKARU:
本当に最近の話で、今年の1月の中旬くらいですね。会社の事務所の1室におじゃましてる感じで。

普段はオフとかに行くのであんまりいないんで、本当に寝るためだけの部屋ですね。

――生活の大半は、配信や大会参加で埋まってる感じですか?

HIKARU:
そうですね。本当にプライベートは何もなくて、友だちもほとんどみんな大阪にいることもあって、ずっとスマブラしかしてないですね。

東京ではプレイヤーネームのHIKARUで呼ばれるので、本名で呼ばれることはあんまりないです。それくらいプライベートがないです。

――そういえば、HIKARUさんは今おいくつですか?

HIKARU:
20歳です。

――若い……。スマブラは若いプレイヤーが多いですよね。

HIKARU:
そうですね、大学生がすごく多い印象です。時間があってできるのかな?

で、その延長線上で大学時代に始めた人でいまは社会人という人もいて。大体そのどっちかですかね。

――20歳というと、最初にプレイしたスマブラってどれになるんでしょう?

HIKARU:
僕の場合だと、3歳くらいの頃に64のスマブラをやったのが最初でしたね。誕生日プレゼントで64と買ってもらって、そこから普通に遊ぶ程度にやってたって感じですね。

DXもやってますし、Xもやってます。当時は3歳なので何がなんだかわからなかったですけど。

――ちなみに、ゲームはスマブラ以外にもやってましたよね?

HIKARU:
格闘ゲームは結構やってましたね。

ゲームが楽しいというよりは、勝つのが面白くて。なので、RPGは苦手というかあんまりやらなかったですね。誰でもクリアできるということに楽しさを見出だせなくて。

どっちかというと、横で一緒にプレイしているやつが苦しんでいる顔を見るほうが面白いから、格闘ゲームが昔から好きなんですよね。

――根っからの勝負好きというか、とてもいい性格してますね(笑)。格ゲーはどんなタイトルのプレイ経験がありますか?

HIKARU:
有名どころだと「BLAZBLUE」や「GUILTY GEAR」といったアークゲー、あとは「電撃文庫 FIGHTING CLIMAX」も店舗大会で優勝するくらいにはやってました。そのときは全然オフラインという文化がわからなくて、ゲーセンに行って遊ぶくらいだったんですけど、結構やってましたね。格闘ゲームに飢えてましたね。

――スマブラの宅オフに行き出したのっていつくらいですか?

HIKARU:
高校1年生の夏頃ですかね。

大阪の友だちと遊びに行ってて、帰り道にゲームバーみたいなところがあって、スマブラの画面が映ってたのが見えたんです。

それを見て、俺強いしちょっとやってくか、って感じでふらっと覗いてみたら、スマブラXをガチでやってたプレイヤーがいて、その人と対戦してるうちに「みんなで集まってスマブラやってるんだけどこない?」って誘われたのがきっかけでした。

――最初に宅オフや大会に行ったときはどうでした?

HIKARU:
プレイしている人が本当に強かったのが印象としてありますね。9Bさんとかあーすさんとか、SPECIALの開発に携わっている人たちがいた宅オフに行かさせてもらってて、それまで僕は一番強いと思ってたら超ボコボコにされて……。

どんなプレイヤーがいるか、誰が強いか、みたいな事情も詳しくなかったので、その辺の一般人に負けたような気分だったんですよ。

それもあって、通うようになって、のめり込んでいきました。

――それが高校生の頃ということは、青春はスマブラに捧げた感じだったんでしょうか?

HIKARU:
そうなんですよ。部活もやってたんですけどやめちゃって。

スマブラ以外に物事にハマることがあんまりなくて、それまでは始めてはやめ、始めてはやめ、という感じだったんですけど、スマブラだけ唯一続いたんです。勝てるから面白いし、勝てるからもう少しがんばろうという気持ちだったので。

それで負けたら「なんでスマブラやってるんだろう」って落ち込んでたんで、せめてスマブラは勝てるようにしようと他のことを全部やめてスマブラに打ち込んだんです。

負けず嫌いな部分はあったと思います。

親の反対を押し切ってEVO2016参戦

――そこからEVOに参加するまでのめり込んでいったんですね。

HIKARU:
関西で初めて大会に出たときは予選で落ちちゃったんですけど、2回目の大会で24位くらいに入って自分的に良い結果が出たんですね。そこから周りからも評価されるようになったんです。

ドンキーコングは使ってる人が少ないキャラで、そんなキャラでこの順位ということもあって注目してくれたんですかね。

そこから東京にも遠征するようになったんですけど、一緒に大阪から参加した人とあたって負けたり(笑)。何しに行ったかわかんねーや、って落ち込んで、次の日は学校を休んだりとかして、悔しいからそのまま朝までスマブラやったりもしました。

そんなことをしてたらベスト8に入れるようになって、さらにEVO2016にも誘われたんですよ。Nairoというアメリカのスマブラプレイヤーが配信で呼びかけた募金を使った招待を受けて参加したんですけど、実はそれまでEVOのことはまったく知らなかったです。

海外に行くのは親には反対されましたけど、なんとか参加しました。

――高校生で家族と同伴せずに海外に行かせるのは、ご両親としては確かに心配ですよね。

HIKARU:
最終的には押し切って行ったんですけどね。あと、学校にもちゃんと説明しました。

当時の担任の先生がめちゃくちゃ理解してくれる先生で、「好きなことがやれるならやったほうがいい」と言ってくれて、単位を落としてもいいとは立場上言えないけど、海外大会にも行けるように手伝えることはやるし、がんばってほしいからと他の先生にも説明してくれて。

めっちゃ怖い先生とかも、「お前なんかゲームやってるらしいな。見せてみろ。」って言われて、一緒にYouTube見ながら説明したりして。がんばってこいよって応援してくれましたね。

結果はベスト48くらいですごくしょっぱくて、負けた相手もESAMとかNairoとかめちゃくちゃ強いやつに負けたんですけど、当時は彼らのことをよく知らないから「なんかしょーもない知らねーやつに負けたわー」って感じですごくショックでした。モチベが上がって日本に戻ってからは東京遠征もよく行くようになったくらい。

そんなこともあって、帰国後は学校も親も「がんばるならやれば」くらいの感じで、ある程度はプレイヤーとしての活動を許してもらえましたね。

――それまでは厳しかったんですね。

HIKARU:
それまでは門限が確か22:00だったんですけど、学校が終わったら1時間かけて宅オフに行って、門限に間に合うギリギリの時間にメモをしながら帰るっていうのが週5~6でありました。

負けたくないから学校の授業中もノートを取りながらスマブラのことをメモしたり。

それを宅オフで試して、また負けたら帰ってきて練習して1:00くらいに寝るっていうのが平日の生活サイクルでした。今思えばきしょいんですけどね。どんだけやってんねんみたいな。

今同じことをやれって言われても無理なくらい。それぐらい負けるのが悔しかったし、1つのことしか続けられなかったし。

あとは、ドンキーコングを使ってる人が周りに誰もいなくて、ドンキー使いの1位っていうのが近いところにあったんですよね。海外でもドンキーで結果を出している人はちょっといたかなくらいだったので。

ということもあって、ドンキー使いの中で1位になるっていう目標が結構近くにあったのもがんばれたポイントだったのかなと。

ドンキーからポケトレへ――HIKARUのキャラ選び

――当時、ドンキーはキャラランク的にも低かった?

HIKARU:
めちゃくちゃ下の方でしたね。最弱レベルでしたよ。

アップデートで投げから死ぬコンボが開発されたんですけど、使う人がいなくて埋もれていた状態で。

その頃、僕は使うキャラが全然決まってなくて、プリンとかを使ってて全然勝てないなって困ってたんですけど、アップデートが来たときにたまたまドンキーを使ってみたら、掴んだら勝てるみたいなキャラクターで。

それまでずっと勝てなかった人にドンキーだったら20回に1回勝てるくらいになって、そこから使い始めました。

他のゲームでも、テイガー(BLAZBLUE)とかポチョムキン(GUILTY GEAR)みたいな投げキャラとか火力高いキャラが好きだったんで、ドンキーもそんな感じかなーと思ったら自分に合ってて。

そこから大会の順位も段々上がってきましたね。

――最近はポケモントレーナーを使い始めましたね。

HIKARU:
スマブラSPになって、ドンキーが火力が本当に低くて。環境がだいぶ変わりましたね。

発売からまだ半年も経ってないので、まだ模索していてもいいのかなって思っていろいろなキャラを使いつつ、やっとしっくりきたので、しばらくはポケモントレーナー一本でやろうかなって思ってます。

――2019年2月の闘会議で行われたスマブラSPECIALのオープン大会では優勝されましたが、ゼロスーツサムスを使ってましたね。

HIKARU:
実はあの日は九州で開催されている修羅ブラっていう大会に出るつもりだったんですけど、チーム激をスポンサードしてる会社の社長に「こっち出れば?」って言われて直前に出ることにしたんですよ。

で、ドンキーはキャラ自体も強くないし、アイテムありだとなおさら弱いんですよ。体もでかいし、復帰も弱いし、アイテム投げるのも遅いので。

なので前日からオールで配信しながら使うキャラを探してて、たまたまゼロスーツサムスを使ったら超強くて1日目にベスト8まで進んで。

――強豪が多いブロックを勝ち進みました。

HIKARU:
僕のブロックめちゃくちゃ強い人ばかりでしたね。海外からESAMさんも来てましたし。

相手はメインのキャラですけど、僕のゼロスーツサムスは付け焼き刃なんでまともにやりあったら勝てないから、マジでアイテムだけを狙おうと思って、ひたすらアイテムを拾って投げてたら勝っちゃいました。

プライドもクソもないですよね(笑)。

1日目はそうやって逃げまくってアイテムを投げてたら勝ち抜いたんですけど、2日目はその対策をされてすごい攻め込まるという展開で、逆にそれをさばくだけでうまく戦えました。ゼロスーツサムスはWii Uの頃にもちょっと使ってたことがあって操作はある程度わかってたのも大きかったですね。

僕、規模の大きい大会の方が勝てるんですよね。

――大舞台に強いタイプ?

HIKARU:
平日大会は全然弱くて、でっかい大会だと集中できる。良いところでもあり悩みでもあるんですけど。

ウメブラとかでも3位とか上位に入れてますし、闘会議でも集中できてるのが自分でもわかって、画面もよく見えてたので「今日は勝つ日だな」みたいな感覚でした。

――その方がロマンがあって良くないですか? EVOとかの海外大会でも期待できて。

HIKARU:
そう言われることは多いんですけど、自分的には悩んでいるんですけどね……。

闘龍門やスマパ! といった平日大会の知名度が上がってきて視聴者も増えているんですけど、そこで勝てないからボロクソに言われるんですよ。

頻度としては平日大会の方が多いので、こいつ全然勝てないと思われていて。

まぁ、大きい大会で勝ててるからとりあえずはいいのかなと自分に言い聞かせつつ、悩んでいるところではあるんです。


HIKARUといえばドンキー、ドンキーといえばHIKARUというくらいには、Wii U時代はドンキーで結果を出してきたHIKARU選手。

高校時代に宅オフや大会に出会ってプロゲーマーを志すようになる。

後編では、上京から現在のプロゲーマーとしての活動に至るエピソードを語ってくれた。

写真・大塚まり

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記者プロフィール
Mako(WPJ編集部)
スマホゲームの攻略サイト、情報メディアを渡り歩いてウェルプレイドジャーナルに流れ着いた超絶新進気鋭の若手編集者。イベント取材では物販やコスプレイヤーに釘付けになりがち。

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