プロスマブラ―RaitoがEVOでした決意「やっぱり僕はプレイヤー」【前編】

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闘会議2019やGenesis 6といった大規模大会が開催され、esportsシーンからも注目が高まっている「大乱闘スマッシュブラザーズ SPECIAL」(以下、スマブラSP)。
企業とスポンサード契約を結びプロゲーマーとして活動するプレイヤーも増えてきていて、話題に事欠かないシーンの1つだ。
今回は、「大乱闘スマッシュブラザーズ for Wii U」(以下、スマブラWiiU)で最強のダックハント使いとして名高いRaito選手のゲーマーとしてのルーツに迫る。
聞き手には、以前よりRaito選手と親交のあるプレイヤーすいのこ氏。カメラマンには、スマブラの大会で写真撮影をしているだりもこ氏に依頼。
コミュニティで活躍している人たちにとってなじみのある面々でお送りする。
ポケモンガチ勢からイベント運営へ
すいのこ:Raitoさんってスマブラのプレイヤーとして活動する前は、ポケモン勢だったよね。ポケモンはいつからやってたの?
Raito:
本格的に始めたのは、小学校5年生から。ルビー・サファイアの時代なんだけど、周りのみんながやってる頃は全然やってなかった。
後になって、古本屋でポケモンの攻略本を読んだら、ポケモンのステータスが細かく書いてあって、このポケモンこんな強いんだ、こんなポケモンいるんだって衝撃を受けて、少ないお小遣いをやりくりしてエメラルドを買って始めたのが最初だね。
そこからどっぷりハマって、ポケモンフェスタっていうイベントに、お父さんにわがまま行って連れて行ってもらったの。そこで対戦できるコーナーがあって、並んでいる列のお兄さんに仲良くしてもらったのがうれしくて、人と話しながらポケモンをやるのが楽しいと思ったんだ。
それから、ネットの掲示板とかで情報収集とかしたら、ポケモンをさらに手に入れて強くなるためには、やっぱりオフラインのイベントに行くしかないのがわかって、イベントの体験レポートを読む毎日だった。
それからしばらくして、小学6年生の終わりくらいに、小さいオフラインイベントの開催告知を掲示板で見かけて、年齢を明かさずに参加しますと書き込んで、お父さんにも内緒で電車で1人で行ってみたの。
そしたら、小学生が来たもんだからびっくりされて(笑)。でも、みんな優しいからいろいろ教えてくれたよ。
すいのこ:だろうね。オレらも小学生がきたら教えたくなっちゃうもんね。
Raito:
対戦の知識とかいろいろ教えてもらって、実際に対戦してみたらやっぱり僕は弱かったんだ。
それからもポケモンは続けていって、コランダムカップっていう非公式イベントの南関東予選ではベスト8に入ったのね。
そこで初めて「若いのにすげーなお前は」って言われたり、人からポケモンについて教えてもらったりして楽しいなって思って、オフラインのイベントにどっぷりのめり込んでいったな。みんな単純にポケモンが好きで、大人になってもポケモンをやってるっていう環境がよくて、年齢関係なく同じゲームやってるのがいいなって感じだった。
すいのこ:ポケモンに限らず、ゲームはやりこむタイプだったの?
Raito:
コツコツやっていくのがすごく好き。
それこそ昔のポケモンって、1種類のポケモンの理想個体がほぼ実現不可能だったんだけど、それを産むために1日中同じポケモンを孵化し続けるとかはやってたよ。あんまりゲームを買ってもらえなかった分、1つのゲームをやり込むタイプだった。
すいのこ:その感覚はすごくよくわかる! その後、オフラインイベントを自分でひらくようになったんだよね?
Raito:
「シングル厨のつどい」だね。その頃は僕も結構強くて、ブラック・ホワイトの初期は優勝回数は2桁いってるし、大会に参加したら大体ベスト16以上には入ってた。
そこで知り合った仲間が、もともとあったシングル厨のつどいの運営を引き継いだんだ。最初はmixiで参加者を募っていた小規模なオフ会だったよ。
すいのこ:当時からRaitoさんの名前は知ってたもん。ブラック・ホワイトで本格的にポケモンやろうと思って、パーティーの構築とか努力値の配分とかの参考にするのにRaitoさんのブログ読んでたし。
Raito:
あの頃はちょっと有名だったね。それで、運営を引き継ぐにあたって、いままでやってきたのって、トーナメントのベスト8から決勝戦までをそれぞれの机でやって、決勝戦だけはスクリーンに映すっていう感じで、ぱっとしない感覚があったの。
だから、もっとイベント感を出したらいいんじゃないのって思って、イベントチックな構成を組もうと思って演出に力を入れだしたんだ。
それからはポケモンをプレイする時間もなくなるくらい、主催として取り組んでいたんだけど、それでも自分の中では、プレイヤーが評価されていってほしくて、そういう人たちが排出される環境作りができればいいと思って1、2年くらい続けてたのかな。
そのかたわらで、スマブラにもハマっていった感じだね。
宅オフに入り浸りスマブラ漬け生活
すいのこ:スマブラを本格的に始めたのはWii Uからだよね。
Raito:
うん。正確には最初はスマブラ for 3DSしか持ってなかった。もともとスマブラXもガチ勢ではなかったけどやってたよ。ニコ生の好きな生主さんのところにいって遊ぶくらいはやってた。
ポケモンで慣れていたらから、オフイベントに参加するのに抵抗はなくて、ウメブラとか参加してみたいなって思ってノリで参加してみたのが最初のきっかけだったかな。
すいのこ:そこで知り合いはできた?
Raito:
面白いことに、最初のブロックのシードがブルードさんだったの。同じブロックに、keptくんやロツクさんもいて、takeraさんもBクラスのベスト8で対戦した。
すいのこ:そうなんだ。じゃあ、その頃にはもうそのあたりの面子とのつながりができていたんだね。
Raito:
そうだね。つながりっていうか顔見知り程度だけど。彼らは当時からみんな強かった。ブルードさんはぶっちぎりで強かったけど、keptくんとかも強かったな。
結果は、予選2勝10敗とかで、Bクラス(※1)のベスト4までいったんだったかな。確か、たまにゃそさんに負けた。そこから悔しくて、宅オフ(※2)にもがっつり行くようになって、そこで初めて知り合いができたね。ぱせりまん、きしゃ、ピチ、あいば、あとはからあげさん、たいがーさんとか。
※1 Bクラス:大会の予選を通過できなかったプレイヤーのみで構成されたトーナメント。予選通過者側のトーナメントは「Aクラス」「本戦」などと称されることが多い。
※2 宅オフ:プレイヤーの自宅で行われるオフ会。家主の名前をとって〇〇宅と呼称される(例:takera宅)。
すいのこ:大会で知り合いができて悔しい思いをして宅オフに行くようになるというのは、みんな通る道なんだろうな。しかも、最初にBクラスとはいえベスト4になると、結構勝ててるのに、そこから先が勝てないの悔しいってなおさらなるじゃん。
Raito:
最初は意外といけるんだなって思ったけど、壁を感じたのはあいすさん。あの人がめちゃくちゃ強くて1勝もできなかった。
そんなあいすさんでも平均ベスト24くらいって言ってて、「え、こんな強くても24なの?」って思った。この人より24人も化物が上にいるのかと。
ベスト8の常連のピチさんにも出会って、戦ってみたら全然勝てなくて、上には上がいるのを知ったよ。
すいのこ:takera宅が始動したのはちょうどそのころじゃない?
Raito:
もうちょっと後かな。エイムくんと仲良くなって、一緒に行ったのが最初だったね。
何回か通って、カリスマ(※)の3on3にkeptくんに誘われて、takeraさんと僕とで3人ででることになって、合宿をすることになったの。僕、takera、きしゃ、keptで1週間くらい泊まり込みでずっとスマブラやってた。
そこで準優勝してそこから開花した感があるかな。
※カリスマ:愛知県のスマブラオフ大会。
すいのこ:チーム名なんだったっけ?
Raito:
福徳食堂。takera宅近くにある食堂の名前で、そこでご飯食べながら決めたの。
そこから、僕とkeptくんは大会で1桁台に入れるようになって、takeraさんもちょっと遅れてから勝てるようになってきて、3人注目されるようになってきた。
すいのこ:カリスマあたりからぐんぐん伸びた印象があるよ。
Raito:
勝ち方がわかってきた感じだった。合宿で、チームの対策とかめっちゃした経験があったからだと思う。
すいのこ:そのときは、単純に勝ちたいとかもっとうまくなりたいとか、そういう気持ちでやってたよね。
Raito:
勝ち以外ないみたいな感じだったね。平日の夜もtakera宅に行ってがっつりスマブラして、そのために引っ越しもしてtakera宅の近くに住んでたし。
EVO 2016で気付いたプレイヤーマインド
すいのこ:そうして実力をつけていって迎えたのがEVO 2016。Raitoさんのキャリアのターニングポイントだと勝手に思ってるんだけど。
Raito:
自信も実績もついてきたと思っていたところで、Nedというクラウド使いにウィナーズでもルーザーズでも負けて、トップ96で終わってしまったからね。しかも、どっちの試合も勝てそうだったのに。
1つ先にとっても、2本連取されるという負け方を2回繰り返してしまって……。あばだんごもアドバイスしにきてくれたのにそれに応えられなかった。終わった後は、何をしにアメリカに来たんだろうって思ったし、ひたすら悔しくて、隅っこの机で放心状態みたいになってたよね。
ウメブラでもこんな悔しいことなかったなって思って、自分でもちょっと衝撃だった。
その頃ってシングル厨のつどいの運営もやってたから、イベント開催の参考にすることも目的だったのと、純粋にゲームシーンを見たいから来たというのもあったから、切り替えて3日目は見に行ったの。
そしたら、ステージとかすごいじゃない?
あのステージで、あの迫力で、あの歓声。涙が出るほど衝撃的で、俺が目指すものはこれなのかもしれないと直感した。それも、イベントの運営としてそれを作り上げたいんじゃなくて、自分がそこにいる姿をイメージしていた。
だからやっぱり僕はプレイヤー側なんだなって感じた。
すいのこ:それまではプレイヤーとイベント運営のどちらもやっていきたい気持ちだったんだ。
Raito:
スマブラはプレイヤーとしてやって、ポケモンは運営をやれればいいかなとは思っていたの。でも、オレはプレイヤーとして大成したいんだなって思いが強くなって、シングル厨のつどいの活動よりスマブラの活動に比重を置いていったって感じ。
元々働いていた会社も、正社員だったんだけど、Genesisとかの海外大会に行くとなると、簡単に休みは取れないから、社長さんに相談して雇用形態を契約社員に変えてもらった。
人生の分かれ目って人生において何度かあるらしんですけど、そこで自分の考えを曲げちゃいけないというのを本で読んだことがあって、それがまさにその選択だなって。仕事するより、こっちに全力で取り組んだほうが人生楽しいだろうと。
すいのこ:その後、去年の2018年4月にCandeeと契約してプロゲーマーという形になったけど、それまでにしんどかったことってある?
Raito:
1番しんどかったのは、Genesis 4かな。
ウィナーズでまったく警戒してなかったロボット使いに負けて、EVO 2016と同じことは繰り返さないと決めてて、ルーザーズでも勝ち上がって表舞台に立つんだって。
そのとき、ちょうどブルードさん、You3さんも参加してたの。同じダックハント使いとして負けられないと思ってたんだけど、ルーザーズでYou3さんにあたって負けちゃった。ブルードさんはZeRoを倒し、You3さんはクルーバトルに選ばれ、俺には何もない。やめてもおかしくないくらいきつかった。
EVO 2016で1回挫折を味わったから続けられたのかもしれない。
その後も海外大会に参加して、CEO Dreamlandでは9位になれて、初めていい結果を残せた。スマブラWiiUの終わり頃には、海外でも結構上位に入れてたね。逆に国内の方が勝てなかったかも。
すいのこ:日本はダックハント使いが多いからみんな対策してたしね。
Raito:
あと、海外って、強い人はめちゃくちゃ強いんだけど、真ん中くらいがそんなに強くない。日本だとトップレベルに続く人たちもみんな強いから。
すいのこ:ベスト64くらいの人たちはみんなベスト8に入れるくらいの実力は持ってる感じだよね。それでも折れずに頑張って結果を残し続けて、Candeeと契約してプロゲーマーに。この契約に至ったきっかけは?
Raito:
僕が働いていた会社の出向先がCandeeだったんだ。そこで仕事をしていたんだけど、僕がプレイヤーとして活動しているのを、ゲーム担当のマネージャーさんが見てくれてて、いろいろ情報共有していて。
で、会社との雇用契約が切れるタイミングで、Candeeから声をかけてもらって、契約することになったの。
すいのこ:僕もCandeeの人と話したことあるんだけど、海外でも結果を出しているし、普通に働いてもらうよりもプロゲーマーとして契約してあげたほうがRaitoさんにとっていいんじゃないかという話になったみたいだね。
Raito:
プロゲーマーになってからは、時間との勝負だと思うようになって、ひたすら練習をして、結果も伸びてきて、いい流れを作れたかなって思う。
(後編に続く)
写真・だりもこ
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