何度も壁に当たって乗り越えてきた“ドイツで始まる”マイキーのeスポーツキャリア
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■前編記事
初めての世界挑戦で思い知った実力差
――キャリアを振り返ると、国内ではもう長らく最前線で活躍されています。
マイキー:
多くの日本人選手がそうだと思うのですが、僕はもともと「ウイニングイレブン」(以下、ウイイレ)のプレイヤーで、そこで初めて世界大会に出場させていただきました。
――当時から世界で戦うことを意識されていましたか?
マイキー:
それはあまりなかったですね、eスポーツという言葉も一般的ではありませんでした。当時は20歳くらいの年齢だったこともあって本当に「自分が一番強い」と思っていて、全国大会でも優勝できたので粋がっていましたね(笑)。
それで天狗になった状態でスペインのマジョルカで行われた世界大会に出たんですが、まぁ化け物級のプレイヤーばかりで、完全に壁に当たって「日本一って大したことないんだな」と思い知らされました。あれが2009年なのでちょうど10年前ですね。
――そこから世界を意識するようになった?
マイキー:
そうです。とにかく世界で勝つことを考えてプレイして、翌年も日本を勝ち抜いて世界大会に出場しました。なんの縁か、その年の世界大会はドイツで、ケルンタワーという建物で試合をしましたね。
2回目と言うこともあって緊張もなく臨めて、準優勝という結果を収めることができました。決勝も突然レギュレーションが変わったりしなかったらな……とは思うのですが。
――そんなことがあったんですか?
マイキー:
ありました! 試合前にフォーメーションを変更させてくれなかったんです。他にもコントローラーを充電させてくれなくて……。PS3本体を20cm前に出すだけでケーブルが届くのに(笑)。
さすがに当時日本から同行してくださった通訳スタッフの方が抗議してくれて、渋々でしたが20cm移動させてくれました。でも結局、フォーメーション変更はさせてもらえませんでしたね。
1ヵ月間で90試合やって90連勝達成
――キャリアを見ると翌年から「FIFA」での活動に移られましたが、その出来事が影響したのですか?
マイキー:
そういう訳ではないですね。その当時、少し前からウイイレの操作感などに疑問を感じていたのですが、新作があまり良い出来に感じられなくて、決定的に自分の中で「これは違うな」となったのがきっかけです。
一方で、当時はあまりFIFAが評価が高くなかったのですが、軽い気持ちで遊んでみたらめちゃめちゃ面白かったんです。できるドリブルの種類とかも全然違って、ものすごくリアルに感じました。
もちろん当時のFIFA12は選手の顔が似てないのは事実でしたが、評判と違って内容は面白かったので、世界的にもFIFAの時代が来るだろうと思ってスパッと変えました。ウイイレは人生で最も遊んできたゲームだったのですが、そこから転向したのは我ながら良い決断だったと思います。
――転向後もすぐに結果を残されていますね。
マイキー:
でも当時は本当に苦労しました。やはり、ウイイレの技術が活きるよりもクセがマイナスになる部分があって、最初の半年は6割くらいしか勝てなくて大変でした。
――二度目の壁に当たった訳ですが、とは言いつつもすぐにタイトルを獲得されています。
マイキー:
適応能力っていうのは自分でも高いのかなと自負しています。サッカーゲームって毎年のように新作が出る中で環境が変わるのですが、そこで「今作はここが大事だな」と見つけ出す能力が他のプレイヤーより高いと感じていました。なので「多分FIFAでもできるだろう」と根拠のない自信を持てたのが良かったかも知れません。
ただ、当時は本当に国内でのユーザーは少なかったので、国内で勝ったからと言って有頂天になるようなことはなかったですね。FIFAでも世界と戦いたいと考えていました。
――2010年代後半から国際大会も増えました。
マイキー:
そうですね。しばらくは大きな大会がなかったんですが、ようやく「FIFA16」のタイミングで世界同時に「1ヵ月間で90試合やって90連勝が必要」という、今振り返ると訳のわからないレギュレーションの予選があって……「絶対無理だろ!」と思ったんですが、できてしまいました(笑)。
――とんでもない記録ですね……。
マイキー:
いや、本当にそうですね。僕のサッカーゲーム人生で最も誇れる記録です。引き分けもダメというルールだったので、90分で90連勝は二度とできないと思います。達成したらめちゃくちゃ不正を疑われました(笑)。
でも公式からアナウンスがあって、無事に念願の世界大会に出ることができました。それも何の因果か、再びドイツでの大会で。
――そのあたりから海外進出は頭の中にあったのでしょうか。
マイキー:
気持ちとしてはそうでしたし、周囲からも「本気でやるなら行った方が良い」と勧められましたが、言語面でも金銭面でも不安があったので覚悟が決めきられないでいました。
――そこから今の決断に至った理由は何になるんでしょう?
マイキー:
一番大きいのは、僕がXbox One版のプレイヤーという点ですね。これ、意外と知られていないんですが、同じソフトではあるもののPS4版とXbox One版では結構違いがあるんです。僕も当初はPS4で遊んでいたんですが、一度Xbox Oneで遊んでみたら、別のゲームかと思うくらい快適さに違いがあって、もうXbox Oneでのプレイは譲れないですね。
ここ1、2年は国内でXbox Oneをがんばっていたんですが、流石にユーザーが少なくて、マッチングに1時間待ちというのもザラで、練習どころじゃなくなってしまいました。
それで「PS4に戻って日本で続ける」か「他の国に行ってXbox Oneで続ける」かを自分の中で天秤にかけたときに、「PS4に戻りたい」とはまったく思わなかったんですよね。それで決意しました。
ロッテ愛溢れる野球少年だったマイキー選手
――お話を聞く限り、あまり周囲に流されないというか、大多数の方に寄らないですね。それは昔からですか?
マイキー:
うーん、確かにどっちかっていうと昔から良い意味でも悪い意味でも変わり者だったと思います。なんか学校で意見を出し合う授業とかでも、あまり多数派の意見に賛同できないと思うことがよくありました。
わざわざ逆を主張するほど真面目じゃなかったので、口では「はいはい」って合わせていましたけど、「あれ? 俺がおかしいのかな?」と思うことはありました。
――実際のスポーツとしてのサッカーの経験は?
マイキー:
サッカーもやってはいましたけど、本格的に取り組んだのは野球とかテニスの方で、なんなら野球少年でした。
千葉住まいだったので子供のころからパ・リーグ大好きのロッテファンで、子供の頃にファンクラブで当選してジョニーさん(※千葉ロッテで「魂のエース」として活躍した黒木知宏投手の愛称)の先発試合で始球式もやりました。ドイツに来て「プロ野球が生で観られなくなる」というのがすごく困っています。
今年のドラフト会議もドイツからYouTubeで見て、佐々木朗希選手の指名権獲得を飛び跳ねて喜んでました。「ほら来た!!」って窓から叫びましたよ。
――それはドイツどころかヨーロッパで唯一の存在かもしれないですね。
マイキー:
だから「実況パワフルプロ野球」とかも好きで、eBASEBALL プロリーグもアーカイブで見てますよ! 今年はロッテが好調なのでうれしいです。
パワプロはめちゃくちゃ遊んでいたので選手がすごくハイレベルな操作をしているのがわかってかなり面白いですね。
――では、子供の頃はパワプロ少年だったんですね。
マイキー:
朝起きてパワプロして、野球の練習に行って、帰ってきてパワプロをしているような子供でした!
パワプロはそれほど上手くないのですが、あまりに負けず嫌いなので、友だちがトイレに行ってる間にこっそりロックオン設定にしたりして遊んでいましたよ(笑)。
――ぜひ、二刀流に挑戦されてみてはいかがでしょうか。
マイキー:
いやー、あれは無理だなって思いますね。でも監督とかなら呼んでほしいです!
当時はパワプロの大会が自分の周りではなかったので、大会があったウイイレに次第に移行していきました。あと15年、eBASEBALL プロリーグが早ければロッテ志望で出場していたかも知れませんね。
縁あるドイツでゲームに携わる未来を
――やはり年齢は感じますか?
マイキー:
めちゃくちゃ感じます。2、3時間集中してやったらちょっと休憩したいくらいですよ。20歳くらいの頃は24時間ずっとプレイしていても平気だったんですが、今はお金をもらっても24時間は無理ですね。こっちが払うので勘弁してほしいくらいです。
――マイキー選手はFIFAのプレイヤーとしてはベテランの域に入りますよね。
マイキー:
本当にそうですね。VBLも10代のプレーヤーばかりです。20代後半でも珍しいので、最年長クラスだと思います。
気持ちは10代のつもりなんですけど、若い選手特有の勢い溢れるスピードについていけないと感じる時はありますね。もちろん、僕も経験値が積み重なって対人読みなどは昔よりも養われているんですが、時折若い選手を見ていると「なんでそんな非効率的なプレイができるんだ!?」という老人目線で見てしまいますね。
――今後の目標を教えてください。
マイキー:
そうですね、実は「イチロー選手が引退するまでは選手を続けよう」と考えていたんですが……引退されてしまったので、できるところまで選手でとにかくがんばりたいです。チームでは、もちろんVBLで6位以内に入ることです。
――少し将来に目を向けて今後のビジョンなどはありますか?
マイキー:
ビザの関係もあって読めないところはあるんですが、もしビザが長期で取得できるならもっとドイツにいたいです。
ドイツ語もちゃんと勉強して、何年か後に選手として引退した後にもエージェントだったりコーチだったりとして携わりたいですね。なので、人脈づくりなども行っていきたいと考えています。何か一生に繋がるようなことを見つけたいですね。もう取り返しのつかないところまで来てしまったので(笑)。
――ではマイキー選手の将来のキャリアはドイツでコーチ兼、eBASEBALL プロリーグでロッテの監督ということで。
マイキー:
そのオファーがあったら帰国しますね(笑)。
実は指導者としての話もあったりして、たまに「選手として活躍した後はどうするんだ?」と聞かれることもあります。コーチというのもわるくないんですが、今後はドイツに来る選手が増えることも考えられますし、そうした方のサポートができれば良いかなと思います。
周囲に流されることなく自分の考え方を貫いてきたマイキー選手。
欧州リーグ挑戦のパイオニアとしても、そしてその先のキャリアも、きっと私たちの想像もつかないような結果を残し続けてくれることだろう。
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