病の淵から救ったゲームの存在 マリオカートの名人・NOBUOが目指すゴール【後編】

WPJ編集部
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突然の病から、世界大会6度優勝まで

――:マリオカートアドバンスの全国大会で4連覇、マリオカートダブルダッシュ!!の全国大会でも4連覇、まさに敵なしの状況がつづくのですね。当時の状況についても教えてください。

NOBUO:
マリオカートダブルダッシュ!!で4連覇したときは、17歳のころでした。当時は両親の仕事の関係で広島から千葉に引っ越してきて、もうバイト詰めの毎日でした。そのころの1日のスケジュールは、学校→バイト→帰宅後にゲームを1~2時間という感じで、思えばあまりゲームで遊んでいない時期でもありましたね。
 
 
――:にもかかわらず4連覇。当時どのように練習されていたのですか。

NOBUO:
質の高い時間の使い方を模索していました。たとえば、練習時間は1日1~2時間しかありませんでしたが、バイトから帰宅中の電車内で「今日はこれを練習しよう」など練習メニューを頭のなかで練っていました。
 
 
――:むだがないよう、あらかじめ練習メニューを決めていたのですね。

NOBUO:
そうですね。一つひとつのアクションを考えながら、質の高い1~2時間を作り上げるような日々でした。4連覇をしましたが、恐らく大会で入賞したプレイヤーの中では、最もプレイ時間が少なかったのではないでしょうか。
 
 
――:当時17歳とのことでしたが、高校卒業後は。

NOBUO:
家計も助けるために、大学には行かずに就職しました。ですが、その冬くらいに突如体調が悪くなり倒れてしまったのです。それが今の病気、線維筋痛症(※)のはじまりでした。

※線維筋痛症(せんいきんつうしょう):全身的慢性疼痛疾患であり、全身に激しい痛みが起こる“難病”。痛みは軽度のものから激痛まで、耐え難い痛みであることが多い。痛みが強いと日常生活に支障をきたすこともある。確実な原因はこれまでのところ特定されていない。なお、現在の医療では完治が難しい。
 
 
――:線維筋痛症、私も調べて知りました。

NOBUO:
18歳の冬でした。初めて倒れてからは、半年間ほど体が動かず、寝たきりの生活でした。じつは、当時はまだ病名もわからずじまいで、入院もして、検査もしたのですが、医者も頭を抱えてしまい……。
 
 
――:それでは、相当不安だったと思います。

NOBUO:
えぇ。ただ、半年後、ようやく体を動かせるようになり、ふとゲームのことを思い出しました。「そういえばゲーム好きだったな」と。そのとき、ちょうどマリオカートWiiが発売されたので、久々に遊ぼうと思い購入しました。ただ、嬉しい反面、怖くもありました。
 
 
――:それは思うように操作できるかどうか、ということでしょうか。

NOBUO:
そうですね。体を思うように動かせないことはもちろん、これまでのプレイヤーネームを採用した場合、昔の僕のことを知っている人はどう思うだろうか。以前の腕前をみせることができるのだろうか。……そう考えてしまったのです。

実際にマリオカートWiiでは、使い慣れているゲームキューブのコントローラーで遊んでいたのですが、やはり思うように動かせませんでした。


 
――:ご苦労があったのですね。

NOBUO:
はい。それに当時は病名も判明していなかったので、「自分はこのまま死んでしまうのではないだろうか」という不安に包まれていました。ただ、同時に「どうせ未知の病で死ぬなら、なにか爪痕を残して死のう」という気持ちの切り替えもできました。
 
 
――:そして、マリオカートWiiの大会に出場されたのですか。

NOBUO:
えぇ、出場しました。といっても、オンライン上の大会でしたので参加方法は明快です。ゲーム内で期間が設けられた全世界共通のオンライン大会にて、タイムを競い合う形でした。これまで実績を積み上げてきた僕としては、「日本一は世界一でなければいけない」という強い思いがありましたので、真剣に臨みました。

いざ大会が始まりタイムアタックのランキングをみてみると、「F-ZERO」の世界チャンピオンとかがランキングを荒らしていたのです。これをみたときに、「もしかすると自分が上手いのは勘違いだったのではないか」と世界の強豪プレイヤーの参戦をみて焦ったのをよく覚えています。
 
 
――:でも、そこから奮起されたのですね。

NOBUO:
はい。「このままではダメだ」「病気を言い訳にせず、絶対に1位を獲ろう」と思い立ちました。世界大会では、10日間の期限があったのですが、期間中は「寝る」「食べる」以外はすべてゲームに向き合っていましたね。当然、体調も悪いので、1時間プレイしたら少し寝ての繰り返しで、実質そこまでプレイ時間は割けていなかったと思います。

そして、最初の大会で無事に世界一に輝くことができました。
 
 
――:念願の。

NOBUO:
「もうこの体でできる最善のことはやったから、死んでもいいかな」という気持ちでした。世界一にもなれたし、もうゲームからは離れて治療に専念しようと思っていましたが……。
 
 

プロとしての意識 「勝利」と「楽しい」を両立

――:つづけていたのですか。

NOBUO:
はい。当時、いろいろな縁で1人の友達ができました。

彼は恋人をガンで失い、毎晩枕を涙で濡らす日々を過ごしていたところ、友達に勧められたマリオカートに救われたようです。マリオカートで遊ぶことで、楽しい時間を共有し、みるみるうちに元気になっていきました。

そして、僕がマリオカートが得意であることを知ると、彼から「もう少し上手くなりたい。いろいろ教えてほしい」とアドバイスを求められるようになりました。僕も「教えられる範囲であれば」と快諾すると、好奇心旺盛な彼は本当にさまざまなことを尋ねてきましたね。
 
 
――:彼はゲームに救われたのですね。

NOBUO:
そう思います。彼を絶望の淵から救い出したのは、紛れもなくゲームだったのです。僕も彼にアドバイスをする限りマリオカートはつづけようと思い、気付いたら世界大会6度も優勝していました。

でも、このとき確信したのです。「病気の体でもできることがある」と。

その後の僕はアクティブでした。任天堂ゲームの専門雑誌「ニンテンドードリーム」に売り込みに行き、「なにかできることはないか」と訪ねたところ、担当者の方は快く話を聞いてくれました。そのときにいただいた初仕事が、マリオカート7の攻略本制作と攻略DVDの撮影でした。今思えば、これが僕のプロデビューだったかもしれません。
 
 
――:プロゲーマーとしてではなく、ゲーム誌のライターが始まりだったと。

NOBUO:
えぇ。大会の賞金などはありましたが、ゲーム関係の仕事でお金をもらったのは、思えばこれが初めてでした。なにより、これまで自分がやってきたことへの対価が、1円でも評価されたことが、ただただ嬉しかったです。

これを機にプロとしての志を高くもつようになり、また大会にも積極的に出場していきました。2012年に開催された「次世代ワールドホビーフェア’Winter」のマリオカート7の大会では、優勝することもできました。オンライン上の大会では何度も優勝していましたが、リアルの会場で催された大会では、このときが初めてでした。
 
 
――:でも、体調のほうはどうだったのでしょうか。

NOBUO:
実は、その当時は周囲に病気のことは話していませんでした。リハビリをしながらも、自身の腕前が落ちないように、バレないようにと、仕事をやっていました。

先ほど話したマリオカート7の大会の日も体調が悪かったのを覚えています。参加を取りやめるかと悩むほどの悪さでしたが、「ここでやらずにいつやるんだ」と自分を奮い立たせて会場に足を運んだのをよく覚えています。その状況下ですが、決勝ではとあるチャレンジを行いました。
 
 
――:どういうものでしょうか。

NOBUO:
それこそ安パイを狙って優勝するか、リスクはあるが観客を沸かせて優勝するか。その二択についてです。大会の最終コースがレインボーロードだったのですが、ここにはゴール直前のカーブであえてコースアウトをするというショートカットがあります。

該当ショートカットは07:00~07:13。チャンネル「くらうど」より

大会1週間前ほどに発見されたばかりで、当時はリスクの高いショートカットでした。加えて、そのときの自分は1位を独走していたのです。……えっと、つまり、そのまま走っていれば優勝は確定だったのですが、そこで、あえて挑戦しました。
 
 
――:失敗したら大変なことになっていたじゃないですか。

NOBUO:
そのときの実況・解説のお姉さんも、「おっと、ここでコースアウト!!」と叫んでいたのですが、気が付いたら着地してゴールしているのをみて「あれ!?」みたいな空気でしたよ。そしてゴールした瞬間、会場が「ワァー!!!」と歓声に包まれて、自分のなかでもすごく気持ちのいい体験でした。プロとしての意識も実現できた瞬間でもありましたね。
 
 
――:観客を盛り上げるために、あえてリスクを冒すこともあったのですね。

NOBUO:
優勝できて、プレイでも楽しんでもらえて、自分としては最高の形で終えることができました。もちろん勝利にこだわるのは重要ですが、ときとして観戦してくれる人、応援してくれる人の気持ちに立って、臨機応変にプレイを変えることはありますね。
 
 
――:その後はマリオカート8の世界大会でも2014年、2015年と2回優勝されています。

NOBUO:
ただ、そのときからは自分の中で1つの違和感を覚え始めました。楽しくも一生懸命にゲームをプレイして、きちんと結果も残している。でも、これがなにか社会のなかで役に立っているのか、と自問自答していた時期でした。世界大会2連覇しても、虚無感があったのです。


 
――:突然ですね。「やっていて意味があるのか」ということですか。

NOBUO:
というよりは、「みんなは本当に楽しんでいるのか」と。老若男女の幅広いプレイヤー層をもつマリオカートですが、自分のプレイを楽しんでいるのは一部のガチ勢と自分だけなのではないかという疑問です。先ほど会場を沸かせた話をしましたが、それは一過性のものになってしまうのではないか、このままでいいのかという葛藤があったのです。
 
 
――:なるほど。

NOBUO:
そこから自分の考えが180度変わりました。
 
 
――:どのように変わったのでしょうか。

NOBUO:
一番大切にしなければいけないのは、だれだろうと考えたとき、「まだゲームを遊んだことのない人」「ゲームに理解がない人」という思いに至ったのです。
 
 
――:プロゲーマーとして、明確なターゲット層を据えたということですね。

NOBUO:
その通りです。たとえば、今YouTube上でさまざまな動画をアップしていますが、その内容は明らかにガチ勢から逸脱したものにしています。ようするに「だれがみても純粋に楽しめるもの」でなければ意味がない、という方針に変えました。これが一番正解でしたね。

NOBUO選手が投稿した動画のなかで最も視聴された200万回再生の動画。
“だれもが楽しめる”をモットーに、軽妙な実況とともに随所にテクニック解説を挟んでいる。

――:所属チーム「Radical Stormerz」のYouTubeチャンネルは1年間で5万登録ほど増えたと伺っています。

NOBUO:
はい。ゲーム界隈を盛り上げるのはとてもいいことだと思います。ただ、その“界隈”とは、あくまで“村”でしかないと思っています。
 
 
――:村ですか。

NOBUO:
その村を大きくするのはおかしな話ですし、内側から外側に向けて「こういう世界(村)があるんだぞ」と訴えかけてもなかなか届かない。

まずは村を囲っている柵を外す必要があると考えています。ありのままを受け入れてもらうのではなく、知らない人たちに「ゲームは面白い」ということを伝え、「ゲームで遊ぶ人たちはおかしい」という認識を払拭させなければなりません。後者はとくに必要ですね。

まだesports界隈は黎明期だと思います。だからこそ、自分自身が柱となって、伝えていかなければならないと考えたのです。自分はプロですが、プロゲーマーとして凝り固まるのではなく、ひとりのゲームプレイヤーとして「ゲームは楽しい」「極めるともっと楽しい」「決して無駄にはならない」……そういうことを真摯に伝えていきたいです。

こうしたひとつひとつの取り組みが実を結び、社会におけるゲームへの理解度も深まっていくのではないかと思います。
 
 
――:NOBUOさんご自身のこれまでの体験によって、その思想が生まれたのですね。

NOBUO:
そうです。当初は「自分は強いから、もっと強くならなければいけない」という気持ちでした。当然、その気持ちも大事ですが、純粋に視聴者からは「NOBUOさんのプレイはみているだけで楽しい」という感想もたくさんいただきます。病気の僕が、人に元気を与えることができるのか。そう思わせてくれました。

もちろんプロゲーマーとして契約している以上、ゲームをやり込んでいきます。ただ、勝つことと、楽しむことは、両立できます。若い人たちにゲームで生きていくことの選択肢を、きちんと与えていけるような環境づくりを意識していきたいと思っています。
 
 
――:今回お話をうかがって、改めてNOUBOさんのご活動を振り返ると、きちんとその思想につながっている印象をもちます。

NOBUO:
たとえば、松竹芸能さんに所属したのも、それらが理由ですよね。芸能界という場所でゲームを推し進めるときに、芸能事務所に所属していないとそもそもきっかけが作れない。

仮にesports番組を手掛ける際も、わからない人たちだけで進めてしまうと、内容がひとり歩きしてしまい、結局なにが行われているのかわからないままブースは過ぎ去ってしまう懸念点があります。ゲームの楽しさはもちろん、競うことの意義など、きちんと伝えていきたいという思いがあったからこそ、所属した形となります。
 
 
――:最近ではスマホゲーム「HIT」(提供:ネクソン)の実況・解説も担当していますよね。

NOBUO:
マリオカートにおける実況・解説をみて起用してくれたのだと思います。ただ、改めて自分で実況・解説をしようとすると難しいですね。喋ることはできるのですが、視聴者になにをみせて、どうわかりやすく伝えるかは、思考を巡らせる必要があります。

実況・解説のスキルをあげるためにも、最近はいろいろなスポーツ番組を視聴して、表現の仕方とか、なにをクローズアップするのか、そしてゲームではどう活かせるのかを日々勉強しています。ゲーム動画はやり込んでいる人にしかわからないものが多いじゃないですか。そうではなく、初めてみた人にも伝わるゲーム動画、もとい実況・解説を心掛けたいですね。
 
 
――:思想の話となりましたが、NOBUOさんの人生は幼少期から線でつながっていることがわかります。あまり幼少期から考えていることは乖離していませんよね。

NOBUO:
そうかもしれません。気が付くと父親の教えだったり、子どものときに抱いた感情だったり、原点回帰のような形です。
 
 
――:勝つことと、楽しむことを両立。

NOBUO:
はい。……あ、ちなみに決してストイックに試合に臨まれている方を否定しているわけではありません。そこから人を感動させたり、元気を与えたりできるので、本当に素晴らしいことだと思います。ただ、僕にはそれができなかった、というだけなのです。

今は“NOBUOだからこそできる”ことに挑戦していきたいです。

現在、線維筋痛症という病を背負って治療を受けていますが、その医療費も結構かかります。そんななか、ゲームをつづけていくかどうかは少し悩みましたが、振り返れば決断は一瞬でした。みんなそれぞれ悩みを抱えていますし、なにかしらの病気を抱えているものです。

人はどうしても“自分だけが辛い”という感情をもつものですが、自分自身は「環境を嘆くよりも環境を楽しめ」を伝えていければなと思っています。


 
――:最後に、NOBUOさんの今後の展望をお聞かせください。

NOBUO:
繰り返しになりますが、ゲームの面白さはもとより、ゲームを極めることでさらに楽しくなっていくことを伝えていきたいです。

また、社会に向けて発信する際は、人間性が重要になっていきます。一生懸命になると腹が立つこともありますが、そういう感情との付き合い方や、対戦相手を敬う心を含めて、きちんと整備された“エンジョイ勢とガチ勢の架け橋”を僕が担いたいと思っています。

そして、病気で苦しんでいる人、悩みを抱えている人に、ゲームを通して元気や勇気を与えていきたいです。僕が力になれればと思います。
 


 
コミュニティは、ときとして壁を作ってしまう。当人たちが楽しければそれもいいのだが、プロを名乗るNOBUO選手の至上命題は、あくまでもゲームの社会的評価の向上だった。もちろん、深刻かつ重々しく考えるわけではなく、“素直にゲームの楽しさを伝える”、その優しく歩み寄る姿がNOBUO選手の魅力だろう。

彼の人生というコースは、まだ道半ば。自身が掲げるゴールは長く険しいかもしれないが、彼なら持ち前の明るさとテクニックで、先頭を走りつづけ、多くの方を導いてくれそうだ。

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写真・大塚まり
©2017 Nintendo

記者プロフィール
WPJ編集部
「ゲームプレイに対する肯定を」「ゲーム観戦に熱狂を」「ゲームに、もっと市民権を」
このゲームを続けてよかった!と本気で思う人が一人でも多く生まれるように。
ゲームが生み出す熱量を、サッカー、野球と同じようにメジャースポーツ同様に世の中へもっと広めたい。
本気で毎日そのことを考えている会社の編集部。

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